"やらない善よりやる偽善" いや、やらない善ってなんだよ
ここ最近SNS上でよく見る言葉
"やらない善よりやる偽善"
意味は 「やらないでただ見てるだけより、偽善であってもやった方がマシ」
私が初めてこの言葉を見たのは
ツイッターで、とあるアカウントの「ハロウィン後 ゴミだらけの渋谷の街をコスプレをした若者達が清掃をしている」と言う写真付きツイートに対して
"偽善者だ" "どうせノリでやってるだけでしょ" "建前だけでしょ"という返信が集まった
それに対し、また別の人が "やらない善よりやる偽善"とそれらの返信を一蹴していた。
私はこれを見て
「いや笑 "やらない善"ってなんだよ笑 何もやってねんだから善もクソもないだろ笑」
と、一蹴した気でいた。
しかし、ただなんとなく引っかかったので"自分なりに"少し考えてみた。
・"やらない善"とは
まず結論を言うと"やらない善"はただの捻くれた"批判者"。
上で話した渋谷の清掃を例に挙げると、
コスプレ姿で清掃をしている若者達が
本当の善意でやっているのか、自分達の善行を見せつけたくてやっているかは誰にも分からない。
捻くれた"やらない善"なる人達が勝手に決めつけ、批判しているだけである。
(まぁコスプレ姿で清掃しているのが、なんとなく目立ちたがりな印象を受けて気に入らなかったんだろう。)
清掃をしていた若者達からすると
「なんで見てるだけで何もしてないお前らにネチネチ批判されなきゃいけないんだ」
と言う感じだ。
そういう時、批判者("やらない善")に皮肉を込めて一言で突き返すことができるのが
"やらない善よりやる偽善"
これを言われてしまえば"やらない善"は何も言い返せない。
見てるだけ、批判するだけで 何も行動をしていないのは事実であるから。
つまり、言葉の矛盾とかどうこう考えるものでもなく
捻くれた批判者を一言で黙らせる決め台詞。
それだけ。笑
・偽善でも善行は善行
当たり前のことを言ってしまうが、
そもそもそれぞれの善について
・やる善…心からの好意、無意識の善行。
・やる偽善…自分の為にやる善。自己満足。建前だけの善行。
・やらない善…相手のことを思って敢えてやらない。
・やらない偽善…自分の得にならないことはやらない損得勘定。(偽善ですらない。)
と私は考える。(当たり前だな。)
例えば、電車でお年寄りが立っていたとする。
ある心優しい少年が心の中で「あぁどうしよう、席譲ってあげたいな。どうしようかな。」と迷っている時
ある冷たい少年が心の中で「ババアが突っ立ってんなぁ。ここで席譲らないと周りの目も気になるしなぁ。めんどくせぇなぁ。」と思いながら先に行動を起こし席を譲れば それは善行。 偽善でも善行は善行。
心優しい少年は何でもない。
ただの心優しい少年。
やってもらった人からすれば、偽善だろうが何だろうがやってもらった事には変わりないので。
やった方も、偽善だろうが何だろうが 善行をしたと言うことに意味があるので。
・まとめ
"やらない善"とは
行動を起こした人間に対して、偽善者だの自己満足だの建前だの
何も行動してないくせにネチネチ言ってくる捻くれた批判者に対しての
皮肉。
「何も行動していない見ているだけの"善の方々"が
行動を起こした人に対してアレコレ言う資格はないのである。」
それでは。